2004年 04月 19日
たくさんの情報
その中のほんの一部を私は手に入れます。
みんなが一部づつを手に入れ、それは全く同じものではないのですね。
でも、特に珍しい情報の入手経路を持っていないので、似たり寄ったりであることは間違いない筈です。
流れるNewsを見て、日頃「胡散臭いな~」と思っていたことがありました。
TV、新聞、雑誌、そしてインターネットに口コミ。
どこもかしこも胡散臭い情報で溢れています。
今回の邦人人質事件について、あちこちの専門家や中東情勢に詳しい○○さんとかが自分の見解を述べたり、「こうしていた筈だ」と説明しています。
胡散臭いことこの上ない
と感じるのは、その人達が語る時なのです。
捕らえられた時の真実は、人質になった人にしか判りません。
何故人質をとったのか、その理由は犯人にしか判りません。
日本政府が何をしたのか、指示を出した小泉首相や官僚、そして今回実際に動いたスタッフでなければ判りません。
どうして人質解放にアブドル・クベイシ師が立ち会ったのか、その裏側は聖職者協会と犯行グループにしか判りません。
本当に重要な情報は、表に出てきません。出してはだめなものは出してはいけないのです。
起こった出来事を知ることは、割と容易いのです。
それが何故起こったのかを知ることは、とても難しいのです。
けれど、真実を知り、行動し、新たな真実を生み出すのは、たくさんである必要もないのでしょう。
そうなりたければ、そうなるべき立場へ自分を置くしかない。
真実は怖いものです。
受け取れば受け取っただけ、自分に責任が、やるべきことが生まれてくるからです。
真実を受け取る立場になく、僅かばかりの事実を根拠に他人を責めたり、決め付けたりするような行為は醜いと、思い至るようになりました。
TVに出てくるコメンテーター達に「胡散臭さ」を感じるのは、多分自分の中にある「醜さ」を反映させているのだろうと、落ち込みました。
by blue_wind_xx
| 2004-04-19 19:06
| 世の中